ベルギーリーグのシャルルロワSCに所属する森岡亮太選手。
2016年から海外でプレーし、今年(2021年)で6年目に至ります。日本人になじみのないポーランドリーグでも活躍した彼が、異国の地で感じた厳しさとは?
「結果を出さないと、この国から出られない」
――2016年に、ヴィッセル神戸からシロンスク・ヴロツワフ(ポーランド)に移籍しました。ポーランドリーグでプレーしてみて、いかがでしたか?
一言で言うとフィジカルサッカーですね。ボールを持って何かをしたくても、それ以前にボールが頭上を越えていってしまいます。僕は向こうの選手と戦えるフィジカルはなかったですし、言葉も話せなかったので、最初は難しさがありました。
――それでも1年目から結果を残していましたが、要因は?
割り切ってプレーできたことですね。10番の位置でスタートしても、9番のようなイメージで、ゴール前での仕事に集中していたんです。
――数字を残すことを意識していたのですね。そのなかでもやはり、言葉が通じないのは大変でしたか?
監督が何を話しているかは分からなかったですが、やりたいことはなんとなくは理解できていました。
練習の内容もそうですし、ミーティングでボードや映像を使うので、経験でカバーができたのか、意図を感じ取ることはできたんです。ただ、自分の考えが伝えられなかったのが一番もどかしかったです。
――周りの選手やスタッフには、どのように自分の考えを伝えていましたか?
伝えていなかったですね。チームに合わせながら、いかにゴール前に行って点を取るか。それだけを考えていました。結果を出さないと、この国から出られないと思っていたので。
――早くステップアップすることを望んでいた、と。
そうですね。最初の2ヶ月くらいで、チームをうまく機能させるよりも、最後に点を取るのが自分であるべきだと考えました。ただ、半年でポーランドを出るつもりが、実際に出たのは1年半後。契約上の問題もあって、なかなか簡単には出られなかったです。
――フィジカル面はどのように鍛えていったのですか?
ポーランドには、190cm近くある選手が数多くいます。しかも、体つきもガッチリしているんです。僕は日本だと身長が高いほうですが、ポーランドでは特に意味がなくて。フィジカルで簡単に負けないようにするために、筋トレはかなりやりました。
――実際に負けない体はできあがったのでしょうか。
ポーランドでプレーしているときはまだまだでしたね。日本では筋トレをしすぎると、体が重くなるイメージがあるじゃないですか。その感覚が残っていて、そこまで負荷を上げられなかったんです。
でも、重くなったとしても、負けない体を作らないと結果は残せない。日本にいたときよりは強くなったものの、常に葛藤はありました。
――日本では、フィジカルで負けることは少なかったのですか?
そんなに負けなかったですし、そもそもフィジカルで戦っていないというか…。当たられる前にパスしたり、当たられないようにプレーしたり、と。“戦わずして勝つ”ようなイメージでした。
ほぼ人生初のボランチに転向。気持ちが楽に
――昨季の途中に、トップ下からボランチに転向したのも、大きな変化だったと思いますが。
今までずっとトップ下で、ボランチは練習でもやっていなかったので、びっくりしましたね。試合中にボランチの選手が前十字靭帯を怪我して、プレーできなくなったんです。ベンチにボランチの選手がいたのに、交代で出てきたのはフォワードの選手。
監督が僕に対して「ボランチに行け」と言ってきて。「どうやってプレーすれば良いの?」と思いました(笑)。
――プロに入る前も、ボランチの経験は少なかったのですか?
小学校のときはありましたが、自由にプレーしていて、ほとんどトップ下やフォワードのような感覚でした。ちゃんとボランチをやったことはなかったです。
――ボランチに下がったことで、得点への意識にも変化はありましたか?
良い意味で、得点にあまり固執しなくなりました。もともと得点よりもアシストや、パスで組み立てることのほうが好きでした。でも、海外では結果に固執しなければいけないと感じていて。ボランチに下がったことで、気持ちが楽になったと思います。
――流れのなかだけでなく、コーナーキックでもアシストをしているイメージがあります。
シャルルロワはカウンターが主体のチームで、前線とサイドの選手がかなり速いです。ボランチはカウンターの起点になることが多いので、アシストとなるとセットプレーが中心になります。
――ボランチには、トップ下とは違った楽しさがありますか?
そうですね。トップ下のときは、ボールに触る回数も少なかったですし、「下がるな」と怒られていました。自分のやりたいことができていなかったんです。ボランチだとボールを受けやすくて、触る回数も多くなります。日本でトップ下をやっていたときの感覚に近いですね。
――守備では、ボールを奪うことも求められると思いますが。
ボランチは相手との距離が近いので、取りやすい感覚はあります。中盤でガチャガチャしたときは、勝てる自信があるんです。逆にトップ下は距離が遠いので、取りに行きづらくて。相手もディフェンスラインでは簡単にミスをしないので、難しさはありました。
――相手との距離が近い分、フィジカルも必要になりそうです。
ポーランドからベルギーに来て、筋トレの量は増やしました。自宅に器具をそろえて、毎日やるようにしています。強さや速さなど、身体能力を上げることがメインですね。
――自宅でトレーニングを行うタイミングはいつなのでしょうか?
午前中の練習が終わって、自宅に帰ってからです。週の初めは1時間くらいがっつりやって、試合が近付くにつれて減らしていきます。試合後はリカバリーも兼ねて、ゆっくりと。
――どのような器具を使うことが多いですか?
バイクが一番多いですね。心肺機能や筋持久力を高められますし、リカバリーにも使えます。バイクの後に筋トレをすると、効果も上がるので。
――海外生活で苦労した点があれば教えてください。
ポーランドに行ったばかりのときは大変でしたね。住む場所はチームに任せて、セキュリティ以外は何も求めていませんでした。そうしたら、セキュリティはしっかりしているものの、横にスーパーがあるだけの場所に住むことになったんです(笑)。
普段は家にいるか、スーパーに行くか。初めての海外生活で、1人でどこかに行くのも難しければ、身近に気分転換できるようなところもない。住みにくさを感じたので、半年で街中に引っ越しました。
――結婚もされていますが、奥さんは海外を楽しんでいますか?
すごく楽しんでいます。日本人のコミュニティもありますし、シュミット・ダニエル(シント・トロイデン所属)は家族ぐるみで付き合いがあります。ダン(シュミット・ダニエル)とは、ベルギーの日本人選手の集まりで知り合って、同学年だったので仲良くなりました。
――お子さんも生まれましたが、それによって変わった部分はありますか?
生活スタイルは変わりましたね。家も子どものことを考慮して庭付きにしたり、住みやすい構造にしました。子どもと遊ぶようになって、活発に行動することも増えたと思います。
海外でのプレーへ、背中を押したブラジル戦での恐怖
――目標にしている選手はいますか?
チアゴ・アルカンタラ(リバプール所属)は好きですね。高い技術をベースにしながら、ボランチでプレーしているのが印象的です。昔はシャビやイニエスタに憧れていました。
――ベルギーでプレーしているなかで、レベルが高いと感じた選手はいますか?
アンデルレヒト(2018-2019シーズンに在籍)の選手はすごいですよ。見た目が子どもな17歳や18歳の選手でも、高いレベルでプレーしています。
――プロサッカー選手として、大切にしていることがあれば教えてください。
座右の銘は「キミは君らしく」。出身である久御山高校のサッカー部のキャッチフレーズです。僕は今まで自由にサッカーをやってきたので、自分らしさを大切にしています。
――サッカーでは、スパイクも大切な要素だと思います。現在履いているスパイクについて教えてください。
僕は現在、アンブロのスパイクを履いています。アンブロのスパイクを履き始めてもう6年経ちますね。
――履いてみての感触はいかがですか?
フィット感が良いですね。スパイクのモデルが変わっていくなかで、その都度良さが変わる部分もありますが、共通して言えるのはフィット感が良いことです。今年の新しいモデルでは特にかかとの高さが低くなっており、足首まわりのストレスが軽減されているなと感じました。
――改めて、今シーズンの手応えを教えてください。
昨シーズンは調子が良くて、リーグ戦で3位でした。それを踏まえての今シーズンでしたが、結果は13位。悔しかったですし、納得がいかなかったですね。
――来シーズンはリベンジの年にもなるかと思います。
ボランチに転向してからは、個人よりもチームの結果を重視しています。チームとして、どこまで上に行けるか。もちろん得点やアシストは狙いますが、それがメインではないです。数字が残せなくても、勝ち続けられればそれで良いと思います。
――来年は代表戦も控えておりますが、復帰したい思いも強いのでは?
もちろんあります。2014年にシンガポールで、ブラジル代表と対戦したときの印象が強く残っていて。日本でどれだけ活躍しても、あのレベルには到達できないと感じました。
Jリーグで安定して活躍すれば、代表にも定着できるかもしれないですが、より高みを目指すには海外に行くしかない。ブラジル戦の後に、当時の環境にいることが怖くなったのを覚えています。
――最後に、日本のファンに向けてメッセージをお願いします。
今はベルギーでプレーしているので、僕のプレーを見る機会は少ないと思います。もう一回代表に選ばれて、日本で応援していただけるように頑張りたいです。
取材・文/竹中玲央奈(Link Sports)
<プロフィール>
森岡 亮太
京都府出身。1991年4月12日生まれ。 京都府久御山高校卒業後、2010~2015年ヴィッセル神戸にて活躍し、その後ポーランドやベルギーのクラブでキャリアアップを実現。2019年より同ベルギー1部リーグシャルルロワSCに所属。国際Aマッチ5試合出場。
2019年、天皇杯でJリーグが発足して以降、4部(実質)以下のチームとして初めてHonda FCは天皇杯のベスト8まで駒を進めた。その大会では鹿島アントラーズに0-1で敗れたものの、前年にアジア王者となった浦和レッズを埼玉スタジアムで撃破[…]
