トップアスリート日比野菜緒選手の母に聞く「テニスと子育て」。プロか進学か、悩んだ娘が日本を代表するプレイヤーになるまで

トップアスリート日比野菜緒選手の母に聞く「テニスと子育て」。プロか進学か、悩んだ娘が日本を代表するプレイヤーになるまで

  • 2020/08/17 (月)
  • 2023/06/23 (金)

10歳でテニスを始めて以来、日本を代表するプロテニスプレイヤーとして活躍する日比野菜緒選手。

単独インタビューでは、新型コロナウイルスという不測の事態に直面しながら感じることや、今後の決意について語っていただきました。

今回は、母・日比野ゆかり氏をお招きして、母子での対談が実現。

テニスを始めた頃の思い出から子育てに込められた愛情、親の支えを感じながら成長してきた日比野選手の思いを赤裸々に話していただきました。

コロナ禍において、親として子どもにサポートできることのヒントになることでしょう。

初めは負けてばかり。“習い事”のテニスがプロへの道に変わった瞬間

日比野菜緒選手と母親のゆかりさんが笑顔で対談している様子

――日比野選手がテニスを始めたきっかけを教えてください。

ゆかり:習い事の一つとして、近所のテニスクラブに入ったのがきっかけですね。菜緒は3人兄妹の末っ子で、長男と一緒に通わせていました。

菜緒:テニスを始めたばかりの頃は、練習が嫌で「行きたくない」とばかり言っていました。でも、通っていたテニスクラブが、上手になっていくとレベルに応じて“クラス”が上がっていくシステムだったのでそれが楽しくて、練習をしに行くというよりは「クラスを上げたい」というゲーム感覚で通っていたと思います。

日比野選手が幼い頃の家族写真

向かって左から日比野選手・お姉さん・お兄さん・後ろはお母様。

――テニスを始めた頃の日比野選手に対して、お母様はどんな印象を持たれていましたか?

ゆかり:最初の頃、試合では負けてばかりだったよね。

菜緒:初めての試合は4年生の終わり頃で、今でも特に覚えています。0-6、0-6でボロボロに負けて帰ってきたよね。

ゆかり:そうだったね。親としてはあくまで習い事の一つである「スクール」という意識でしたので、6年生になったら塾に入れて受験させたいと思っていました。

菜緒:ところが練習を重ねていき、全国大会の地区予選に進むことが決まりました。愛知県大会が終わって、次に東海三県の東海予選にも出ることになって。

ゆかり:そうそう。気が付いたら、全国大会まで行っていましたね。6年生の春頃だったと思います。

菜緒:当時、同じクラブには全国大会に出るような強い選手がたくさんいました。ある選手が、「私は将来ウィンブルドン・ジュニアに出たい!」って言っていたのです。そこで初めて「ウィンブルドン・ジュニア」という存在を知りました。私も目指そう!と思ってからは、意識も技術もステップアップしていきましたね。

「褒めない子育て」で「自由にやらせる」。子どもを見守る信念と絶妙な距離感

幼い頃の日比野菜緒選手について話す母・ゆかりさんの写真

――菜緒選手が幼い頃は、どんなお子さんだったのでしょう?

ゆかり:活発でした。小学校か幼稚園のときかな、自転車が乗れるようになった頃、遊びに行って血だらけになって帰ってきたりして。1人で何かをしては、驚かされることが多かったですね。それに、頑固な子でした。

菜緒:頑固なんです、今でも。

ゆかり:それと自分の主張は貫くタイプ。やるとなったら、「ちょっとぐらい良いじゃん」という妥協は一切ダメみたいですね。

――反対に、日比野選手から見たゆかり氏は、どんな母親ですか?

母・ゆかりさんについて話す日比野選手の写真

菜緒:何だろう?良い意味で愛情表現が下手(笑)。昔はあまり褒められた記憶がないです。本当にすごいと思ったときしか褒めてくれないので、優勝したときに「すごく頑張ったね」と言われると、本当に喜んでくれているなって思いましたね。

ゆかり:確かに、私は本当に心からすごいと思わないと褒められない性格。子どもであっても、「軽々しくは褒められない」と感じてしまいます。

菜緒:お姉ちゃん、お兄ちゃんの頃もそうだったの?

ゆかり:そうだね。長女と長男の頃は世間で“褒める子育て”が推奨され出していましたが、それでも積極的に褒めてあげることができませんでした。そのため菜緒に対しては、「できるだけ褒めながら育てたほうが良いのかな?」と悩むこともありました。ですが、結果的にはあまり褒めてあげられてなかったみたいですね(笑)。

――初めは習い事だったテニス。選手として成長していく子どもの様子を見て、「子育て」において戸惑いはなかったのでしょうか?

ゆかり:「お母さん」って誰しも「理想の子育て」があると思います。長女と長男のときには、習い事や塾に通わせて、受験して大学に行かせて…というように育てました。一方でテニスに打ち込む菜緒を見て、成長の流れに身を任せてみるのも良いかなと思うようになりましたね。

――子どもの意思を尊重する、という意味でも?

ゆかり:はい。ただ正直に言うと、「家族全員で子どものスポーツを支える家庭」という形には具体的なイメージが湧いていませんでした。

テニススクールに通わせると週末はほぼ付きっきりになりますし、さらに夏は試合が多くなります。想像ができていなかった分、しばらくは長女や長男の子育てとバランスを取るのに苦労しましたね。

日比野親子がインタビューに答える様子

――「日比野選手の好きなように、自由にやらせてあげたい」と思ったのはいつ頃からですか?

ゆかり:やはり、大会で結果が出てきた頃ですね。私自身の人生では「あのときこうしとけば良かったな」という後悔ばかりありましたが、それなりに生きてきました。

「あのときすごく頑張った」と言っている人を見て、私は人生のどこかで頑張ったことあったかな?と思い返すと、勉強も運動も一生懸命頑張った記憶がないまま大人になってしまったと感じます。

だから子どもには「私は人生でこのときに一番頑張りました」と胸を張って言えるようなことを、1つでも良いから持たせてあげたいと思いました。

菜緒:私の思うようにやらせてくれて、後ろでは見守ってくれている。そんな距離感がすごくありがたかったですね。

ゆかり:菜緒は私たちが経験したことがないような世界で生きているので、純粋にすごいなと思います。全国大会で出会う強い選手たちのように、「海外の大会で活躍したい」という一心で、着実に目標を達成してきました。

一方で、親としては将来を考えて「大学へ進学してほしい」という思いもありました。そういった意味でも決して、プロになってほしくてテニスをさせていたわけではありません。

菜緒:実際、プロになるか大学に行くか迷っていた時期がありました。同世代のライバルが多く、プロとしてやっていく自信がなくて悩んでいたときに、母は「そんなに悩むなら、1回チャレンジしてみたら?」と言ってくれました。

ゆかり:それでも、「3年以内に結果が出なかったら大学に行こう」と条件は出しました。大学に行けば3年目で就職活動をするのと同じように、プロになっても3年後に食べていく目途がつかないようであれば、学校に行って、仕事につながるようなことをしてほしいという思いがありました。

菜緒:そのおかげで、「3年間やりたいことをやってみよう」と決心がつきました。的確なアドバイスがあったから、正しい方向に進んでいると私は思っています。

のちに、伊達公子選手がインタビューで「3年で結果が出なかったら辞めたほうがいい」と、まったく同じことをおっしゃっているのを見て、やはり意味のある3年間だったと思いましたね。

笑顔で話す日比野選手の写真

――これまでにも、お母様の厳しい言葉の“裏”にある思いや行動に、愛を感じる瞬間はありましたか?

菜緒:優しさゆえの厳しさだったと、この歳になって気付くことが多いですね。私が失敗しないように裏で守ってくれていたのだと、改めて感じます。

――プロとなった今、ご家族で試合を応援されたりもするのでしょうか?

ゆかり:テニスに詳しくないからこそ、客観的な意見を伝えたりすることはあります。「試合中にキレたらダメだよ」とか(笑)。

菜緒:画面越しで応援してもらうくらいで、ちょうど良いなと思います。どれだけ失敗しても受け止めてくれる、帰る場所があるという安心感。両親ともに遠くから見守ってくれたおかげで今があると感じています。

アスリートの娘を持つ母として。「競技後の人生まで見据えた、可能性や選択肢を広げてあげる存在に」

手を開きながら話す母・ゆかりさんと日比野選手の写真

――コロナ禍において、アスリートを持つ親は“不測の事態に直面した子ども”をどのようにサポートしていくべきでしょうか?

ゆかり:競技も家庭環境も違えば、たどっている道筋も違うと思うので一概には言えませんが…。このような機会だからこそ、子どもが迷わないように、今ある道とは違った新しい知識や選択肢を探してあげることも必要だと思います。

――アスリートとしての道だけをサポートするのではなく、「子どもの未来を見据える」という点では大切なことですね。

ゆかり:そうです。アスリートとして活躍しても、実際は競技後の人生のほうが長いですよね。挫折したときや競技を引退した後に道を迷ってしまわないように、別の可能性や選択肢を広げてみる機会にするのも良いのではないでしょうか。

――子どもを守るためとはいえ、親の厳しい言葉や判断に戸惑う若い選手も多いかもしれませんね。日比野選手が考える、親のアドバイスを受け止める心構えとは?

菜緒:私は、これまで両親のアドバイスを聞いて失敗したと思ったことはありません。親は子どものことをよく理解して、客観的に見ているからこそ冷静で正確な意見をくれる存在。まずは一度耳を傾けてみてください。

意見を聞いたうえで、それでも自分が進みたい道があるのなら死に物狂いでやれば大丈夫。絶対に後悔はしないと思いますよ。

日比野親子の写真

<プロフィール>

プロテニス選手 日比野菜緒

1994年生まれ、愛知県一宮市出身。10歳よりテニスを始め、2013年18歳でプロに転向。2015年のタシケント・オープンで、日本人女子史上9人目となるWTAツアー初優勝を飾る。2016年にはリオオリンピックに出場。2018年台湾オープンでダブルス準優勝。2019年にはITFカナダ大会・女子ダブルス優勝、WTAツアー公式戦「花キューピット ジャパンウイメンズオープンテニスチャンピオンシップス」でシングル、ダブルス優勝、WTAツアー公式戦「天津オープン」でダブルス優勝など、飛躍的な成長を遂げた注目のプレイヤー。WTAランキング72位、JTA女子シングルス1位(2020年7月20日現在)。

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トレーナー武井敦彦氏
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