環境の変化は、時として人を大きく成長させてくれるトリガーになります。大本里佳選手(ANAイトマン)も、大学進学を機に地元の京都から東京に練習環境を移したことで、選手として大きく飛躍されました。
練習内容も大きく変わり、さまざまな練習道具も活用しながら日々練習をされているとのこと。目標を明確にしたとき、「やるしかない!」と覚悟を持てたと話す大本選手。そこに至る道のりを伺いました。
――大本選手は、高校までは地元の京都を拠点に練習されていましたが、大学進学を機に東京に拠点を移されました。そのときの心境を教えてください。
当時練習していたスイミングクラブには、全国大会に出る選手はほとんどいませんでした。日本選手権に出るのは、私だけ。なので、いつも練習はコーチと2人きりだったんです。周囲とのモチベーションのギャップも大きかったと思います。
それで、大学進学時に同じようなレベルで、同じように世界を目指すチームでやってみたいという気持ちがあって、東京の大学進学を決意しました。
――実際に東京に拠点を移してからの練習生活はいかがでしたか?
実は最初はチームメイトがいなくて、寮で生活するのも1人で寂しかったです。思っていたのと違うな、という時期もありましたけど徐々にチームメイトが増えてきて、今はとても楽しく練習できています。
――生活面の変化も大きかったと思いますがどうでしたか?
そうですね。大学のこともよく分からないし、初めての1人暮らしですし、何をどうしたら良いんだろう、と分からないことだらけのスタートでした。
――大本選手が1人暮らしで一番困ったこと、逆に楽しかったことはありますか?
朝の練習には始発に乗らないといけないのですが、どれだけ朝が早くても実家だと朝食は母が用意してくれていました。でも、それも全部自分でしないといけないことに最初は慣れず苦労しました。
本当に何の予備知識もないまま家を出てきてしまったので、スーパーに行って何を買ったら良いのかも分からなかったり、どうせ余るからと思って、ずっと食べていたフルーツも買う勇気が出なかったり。本当に自分は何も知らないんだな、と痛感しました。
でもちょっとずついろいろなことを知っていける生活は楽しかったですね。料理をするのも好きなので、今は冷凍庫を活用しながらうまくやりくりできるようになりました。
そういう部分で母はすごいな、と思うことは多々ありました。でも、実家に帰りたいという気持ちはまったくなかったですね。大学生活がすごく充実していたのだと思います。
練習が休みの日には、友人とあちこち出かけていました。鎌倉はよく行きましたし、スカイツリーも何度も行きました。展望台には3回は登っていると思います。休日に部屋にいることはほとんどなかったくらいです。
――拠点を東京に移すことで、トレーニング内容で大きく変わった点はありましたか?
最初の頃は、思うように練習をこなせなくて結構きつかったです。陸上トレーニングも、腕立て伏せはほとんどできませんでしたし、懸垂なんか1回もできませんでしたから。
――さまざまな種類の練習道具も使って練習をされていると伺いました。
はい。なかでも練習で一番使うのは、脚に挟んで使うプルブイ※ですね。腕だけで泳ぐ練習で使うだけではなく、コンビネーション練習でも使います。
――どのような目的で使うのですか?
プルブイを使うと、身体が浮いて良い姿勢を保てます。その感覚を身体にしみ込ませるのを目的にして使うことが多いですね。コンビネーション練習のときは、最初の数回はプルブイを付けたままでキックを打ちながら泳いで、抵抗の少ない良い姿勢を保つ感覚を感じ取ってからメイン練習を行うこともあります。
※プルブイ:主に腕だけで泳ぐとき(プル練習)に使う、脚に挟んで使う浮き具。脚だけで泳ぐキック練習に使うビート板としても使えるものもある。
あとはシュノーケルですね。あまり使いこなせていませんが、身体の軸がぶれない感覚を身に付けるために使っています。
――水着はどのようなものをお気に入りで使われていますか?
レースで着る水着はかっこいいほうが好きですね。私は日本人では背も高いほうなので、肩もきつくなくてリラックスして泳げる水着が好みです。
今回のモデルのARENA BISHAMON COLLECTIONは世界共通のデザインでかっこいいですし、肩もきつくなくてリラックスして泳げる良い水着だと感じています。
練習用の水着は、かわいい感じのほうがテンションが上がりますね。
自分では特に意識していないんですけど、友達に「うわ、まぶしい!」って言われることもあるので、結構派手なデザインの練習水着を選んでいるみたいです。
――大本選手が毎日の練習や私生活のなかで大切にしていることはありますか?
何をするにしても、絶対に悔いが残らないように心掛けています。あのときこうしていれば良かった、と思いたくない。だから、そのときどきで、自分にできることを全力で取り組むようにしています。
もし、取り組んでいることが今はできなくても、それができるようになったら自分にとって必ずプラスになる、と思うようにしています。
――そうやって前向きに考えられるようになったのは、いつ頃だったのですか?
高校2年生で日本代表になったときですね。代表になれたことで、遠い夢だったものが、一気に近付いて目標に変わったのを覚えています。目標が明確になると、そこから逆算して物事を考えられるようになりましたし、計画も明確に立てられるようになりました。
勉強とかも同じで、私は何か目標がないと頑張れないんです。自分の記録が伸びるにつれて、単なる夢だったものが明確な目標にできたとき、「これはやるしかないな」と自然に思えました。
――今シーズンの目標を教えてください。
1年前の話になりますが、2020年シーズンは今までと違う生活をするようになって、自分と向き合う時間がとても増えました。この1年間で、「スポーツを通じて自分ができることは何なのか」ということを少しずつ考えるようになったんです。
今までは、単に水泳のことだけを考えて、ただ速く泳ぎたいとか記録を出したいという気持ちだけで泳いでいました。でも、それだけじゃダメ。もっと違う面でも活躍できる人材になりたい。そのためには何をしなければならないのか、そういうことを考えて行動できるようになりました。
大変なことも多かったのですが、水泳以外の面でも大きく成長できた1年でした。この経験を活かして、今シーズンはさらに成長していきたいと思います。
競技面では、夏に目標にしている大会で結果を残すことです。100m自由形では必ず自己ベストを更新したい。私はスタートの浮き上がりと、ターンが苦手なので、その部分を徹底して練習していきたいと思います。
そして、日本の自由形を盛り上げて、どんどん上を目指してチャレンジしていきます。
――さらなる飛躍を期待しています。ありがとうございました!
大本 里佳
ANAイトマン所属
京都府出身。1997年5月8日生まれ。専門種目は個人メドレーを中心に、自由形短距離も得意とする。高校生で初めて日本代表入りを果たすも、その後は一時低迷。中央大学進学を機に拠点を東京に移したのをきっかけに大きく飛躍。2019年には日本代表に返り咲き、世界でも名をはせる選手にまで成長した。
15年もの長い間、日本代表として世界と戦い続けている入江陵介選手(イトマン東進)。今年の4月に行われた第97回日本選手権水泳競技大会 競泳競技でも、50m、100m、200m背泳ぎで3冠を達成しました。100m背泳ぎでは8年連続10回目の[…]