昨シーズンの日本人選手の活躍に加え、新たに日本球界から挑戦するプレイヤーも加わり注目が集まるメジャーリーグベースボール(MLB)。
日本でもメディアで報道されることも多いが、その歴史について知っているようで、実は知らないことも多い。メジャーリーグをより深く楽しむためにこの記事ではユニフォームやロゴなど、プレー以外の部分の歴史を深堀りしてみたい。
(文/徳重龍徳)
“靴下”から始まったメジャーリーグの歴史
アメリカに野球が誕生したのは1830年代だが、当時はニューヨークを中心に行われたローカルスポーツでしかなかった。
しかし、1861〜65年に起こった南北戦争の際、北軍の兵士、南軍の兵士問わず娯楽として一気に広まる。南北戦争が終わり、野球の面白さに目覚めた兵士たちがそれぞれの故郷で広め、野球はアメリカ全土で一気に人気となっていく。
やがて野球のみで報酬を得る、プロ野球選手が誕生する。全員がプロ選手という、最初のプロチーム「シンシナティ・レッドストッキングス」が誕生したのは1869年。その名の通り、赤い靴下がトレードマークだったチームは、この年57連勝という驚異的な強さを見せる。
1901年にはレッドストッキングスと同じボストンを拠点とする「ボストン・アメリカンズ」が誕生する。ボストンでは後発のチームだったが、レッドストッキングスからビーンイーターズと改名していた先輩球団から主力選手を引き抜き、人気で一気に地元のライバルを上回る。
アメリカンズはもともと青を貴重としたユニフォームだったが、1908年にユニフォームを新調するとレッドストッキングスにあやかり、赤い靴下を採用した。この年にチーム名を変え、現在の「ボストン・レッドソックス」となる。
ニューヨーク・ヤンキースのロゴの意外な真実
このボストン・レッドソックスの最大のライバルと言えば、日本でもおなじみのニューヨーク・ヤンキースだ。2チームの関係を物語るうえで最も有名な逸話が“バンビーノの呪い”だろう。
レッドソックス在籍時エース、そして長距離砲としても活躍したベーブ・ルースだが、1920年、当時のオーナーが本業のミュージカルで大きな損失を出したことから、その穴埋めのためにヤンキースへ売り出されてしまう。
ルース以外にもレッドソックスの主力選手を買い取ったヤンキースは1921年にリーグ優勝し、1923年には初のワールドシリーズを制覇し、以後メジャーリーグ屈指の人気球団の地位を固めていく。
一方、ルース在籍時の1915・1916・1918年にワールドシリーズを制したレッドソックスだったが、この不世出の天才が抜けて以降は惜しいところまでいくもワールドシリーズを制することはできず、いつしかルースの愛称から“バンビーノの呪い”と呼ばれるようになった。
この呪いは2004年のレッドソックスのワールドシリーズ制覇で解けたものの、ルース退団から実に86年の歳月が経っていた。
人気球団ニューヨーク・ヤンキースの伝統と言えば、キャップやユニフォームに入ったNYが重なり合うロゴだ。
誰もが一度は見たことのあるこのロゴは、世界的宝飾品ブランド「ティファニー」のルイス・ティファニーによって、1877年にデザインされたもの。実は野球とは関係がなくニューヨーク市警察に依頼されて作られたものだった。
ニューヨーク市警察の警官が1877年、強盗3人組を相手に重傷を追いながらも逮捕したことをたたえ、彼に贈るメダルのロゴとして「NY」のマークがデザインされた。
そして1903年、後にニューヨーク・ヤンキースとなる「ニューヨーク・ハイランダーズ」の球団オーナーの一人であったニューヨーク市警察の元警察所長ウィリアム・“ビッグビル”・デベリーによって、チームのロゴとして採用された。
ニューヨーク・ヤンキースのライバルであるボストン・レッドソックスのロゴである赤い靴下もメジャーリーグを代表するロゴだ。この特徴的な靴下のロゴが使われたのは1908年。その後シンプルなものが使われるも、1924年に現在の原型となる靴下のロゴが使われ、以後現在までロゴに使用されている。
それだけデザインとして優れていると言えるが、1950〜59年にボストン・レッドソックスはソックスを擬人化したロゴを使用している。赤いソックスに人の顔が描かれ、頭には黄色のハチマキを巻き、ソックスから生えた手がバットを持っている。
一度見たら忘れられないこのロゴは、現在でもメジャーリーグ史上に残る珍ロゴの一つと言われている。
現在のミネソタ・ツインズの前身であるワシントン・セネターズのロゴには、政治家がピッチングをしている姿がデザインされている。セネターは英語で「上院議員」という意味だからだ。
セネターズはチームとしては弱く低迷。強豪だったニューヨーク・ヤンキースに勝つために、セネターズファンの中年男が悪魔に魂を売り、選手としてセネターズを強くするという物語が、後に映画化もされたブロードウェイ・ミュージカルの「くたばれ!ヤンキース」だ。
現実のセネターズは長年にわたる不人気に苦しみ1961年、ワシントンからミネソタに本拠地を移転する。ミシシッピ川を挟んだミネアポリスとセントポールが双子都市と言われたことからツインズと命名された。メジャーリーグのチームで都市名ではなく、州の名前が使われたのはツインズが初めてだった。
チームロゴも川を挟んで2人の選手が握手するという変わったものだった。
女性アーティストがデザインした画期的なロゴ
ロサンゼルス・エンゼルスは日本人選手の活躍で注目を浴びている。現在のチームロゴはエンゼルスのイニシャルの「A」に天使の輪が付いたものだが、当初は天使の羽そのものもデザインに描かれていた。
1961年に設立されたエンゼルスの初代オーナーは“歌うカウボーイ俳優”と言われたジーン・オートリー。実はこの人、「赤鼻のトナカイ」を歌い大ヒットさせた人物でもある。
ジーン・オートリーは選手ではないものの、エンゼルスは彼に敬意を表し「26」を永久欠番にしている。これはベンチ入りできる25人に次ぐ「26番目の選手」という意味が込められたものだ。
これまでチームのロゴについて書いてきたが、メジャーリーグ全体でも共通のロゴが使われたことがある。
1939年のMLB100周年記念行事において、メジャー、マイナーを問わず全MLBチームが同じロゴマークをパッチとしてユニフォームに着用して戦った。
ロゴマークのデザインはコンテストで優勝したニューヨークのアーティスト、マージョリー・ベネットのデザインが採用された。
ロゴデザインにはバットを振る選手のイラストが描かれていたが、ニューヨーク・ヤンキースのジョー・ディマジオによく似ていたため、シーズン前に再デザインされ、より一般的な選手のデザインになっている。
1930年代という時代を考えれば、女性アーティストがデザインしたロゴを1年間、アメリカの人気スポーツであるメジャーリーグが着けたことは画期的とも言える。
野球を離れたファッションアイコンに
これまでメジャーリーグのチーム名、ユニフォーム、ロゴについて語ってきたが、1990年代に入るとファッションアイテムとしても注目を浴びることになる。そのきっかけを作ったのが『ドゥ・ザ・ライト・シング』『マルコムX』などで知られる映画監督のスパイク・リーだ。
スパイク・リーは1996年、ニューヨーク・ヤンキースがワールドシリーズに出場した際に、メジャーの公式キャップを手掛けている会社に電話をかけ「ヤンキースのチームカラーとは違う赤いキャップを特注で作ってほしい」とオファーをする。
これが実現し、この年のワールドシリーズの中継で、赤いヤンキースのキャップをかぶったスパイク・リーの姿が映し出されると、一気に注目を浴びることとなった。
この出来事をきっかけにベースボールキャップはファッションアイテムとして注目を浴びるようになり、さまざまなカラーリングのものやブランドとのコラボアイテムも作られるようになった。
ストリートカルチャーとの親和性は特に高く、ニューヨーク・ブルックリン出身のラッパー、ジェイ・Zの『Empire State Of Mind』には「ヤンキースの選手以上にヤンキースキャップを有名にしてやったぜ」と自慢する歌詞も出てくる。
日本でもメジャーリーグに興味のない人も「NY」とロゴの入ったキャップや、ニットキャップなどをかぶるようになるなど、おしゃれなものとしてメジャーリーグのロゴがデザインされたファッションアイテムを着ることが普通になっている。
現在、マンシングウェアのカジュアルライン「Penguin by Munsingwear」では、ニューヨーク・ヤンキース、ボストン・レッドソックス、ロサンゼルス・エンゼルス、ミネソタ・ツインズとのコラボ商品を展開中だ。深い歴史を持つ“ロゴ”を、ぜひ皆さんのファッションにも取り入れてみてほしい。
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