#le coq sportif (ルコックスポルティフ)

ツール・ド・フランスに見る機材の変遷

2020年のツール・ド・フランスは、異例の9月開催となりました。
しかし蓋を開けてみれば、例年と違わない熱戦と熱狂、そして感動の3週間がそこにはありました。

1903年に始まり、2020年で107回目を迎えたツール・ド・フランスは、現在も続くステージレースのなかでは最も古いレースの1つ。
ツールの歴史を紐解くことは、ロードレースの歴史を紐解くことといっても過言ではありません。

本記事ではそのなかでも、ギアやウェアに注目して、ツール・ド・フランスの歴史のなかでどんな進化を遂げてきたのか紹介します。

ツールを可能にしたのは、タイヤだった!?

自転車ロードレースの歴史の生き字引でもあるツールの歴史は、自転車の発展の歴史と密接に関わり合っています。
1903年、初めてのツールを走る選手の自転車は、現在のロードバイクとは異なるところも多いですが、自転車という乗り物が基本的な構造を変えていないこともまた、明かしてくれます。

そもそも「フランス一周」という意味を持つツール・ド・フランス。この1903年大会は、パリをスタートしパリに帰ってくるフランス一周で、総距離2,428km。ステージ数はなんと6つ!ということで、全長こそ現在よりも短いですが、ステージの距離は1番短いもので268km、長いものでは471km(!)という過酷なもの。

当時この並外れた「冒険」が着想され、そして開催されたのは、自転車の進化によるところが大きかったといいます。
自転車の原型は1817年のドライジーネ型に遡りますが、1900年代初頭には、前後のホイール径が同サイズの、近代的な自転車へと進化を遂げていました。

そして1888年にダンロップ社が空気式のゴムタイヤを開発、1891年にミシュランが進化型のゴムタイヤを発表したことで、外を走る自転車レースの機運が一気に高まったのです。

初期ツールを走ったロードバイクとは

このように空気式ゴム製タイヤの誕生が、ツール・ド・フランスというレースを現実のものにしました。
ツール初期のバイクは現在のロードバイクと違い、鉄製で、その重量はおよそ20kg、フリーホイールも、変速機もないというシンプルなもの。ブレーキは前に1つだけでした。

ハンドルバーの形状も、現在のようなドロップハンドルではなく、紳士のヒゲのようなセミフラット形状。ペダルには鉄製のトゥクリップがありましたが、まだ締め込むためのストラップはありません。

1903年の第1回ツール・ド・フランスで勝利したモーリス・ガランは、「ラ・フランセーズ」社製のこうしたバイクで2,428km、全6ステージを平均時速25.679kmで走り切ったのですから、驚きです。

ツール・ド・フランスのイラスト

最初のツール・ド・フランスを制したモーリス・ガラン。諸説あるが、その自転車は20kg近くあったという。Illustration: Yuji Yamada

ディレイラーは1937年にようやく解禁!

現代のロードバイクには必須の変速機(ディレイラー)が、この初期ツール・ド・フランスの時代になかったわけではありません。

1923年には当時のスター選手アンリ・ペリシエがこっそりと自身のバイクに変速機構を装備するなど、変速がレースを走る選手を楽にすることは広く知られていました。
しかし、だからこそ、ツール・ド・フランスの主催者アンリ・デグランジュは変速機の使用を禁じたのでした。

彼は、テクノロジーに頼った自転車レースではなく、スポーツとして、選手たちは己の肉体によって困難を克服すべきという信念を持っていたからです。

ミロワール・デ・スポール紙、変速機の特集

ツール・ド・フランスでディレイラーが解禁になった1938年の「ミロワール・デ・スポール」紙では選手の変速機を特集。大会公式のディレイラー(右)に対して、当時ディレイラーが進歩していたイタリア製の変速機を使用するイタリア選手にフォーカスを当てている。(c): Bibliothèque national de France

ツールで変速機の使用が認可されないなかでも、メーカーは開発を進めより実用性を増していました。
とうとうデグランジュも、1937年に変速機の使用を解禁。「シュペール・シャンピオン」製の変速機は当時の最先端で、瞬く間に大きな支持を集めたといいます。

一説には、1937年ツール・ド・フランスで最下位だった選手のタイムは、前年大会の優勝者とほぼ同じだったというから、その効用は計り知れないものがあったはずです。

ギアの進化は時代と共に進み、1940年代に活躍した伝説的選手ファウスト・コッピによってフロントディレイラーが紹介され、ギアは10段、12段と増えていきました。現代では、前2×後ろ12速の24速まで多段化が進んでいます。

エアロダイナミズムの台頭と席巻

今日のツール・ド・フランスを走るロードバイクの最大の関心事の1つは、エアロダイナミクスです。

タイムトライアルバイクのように空力の良い、しかしロードレースにおいて取り回しの良いバイクの開発が各メーカーによって行われています。その結果、これまではステージ特性によって使い分けられていたエアロロードと、ノーマルバイクの統合が進んでいます。

エアロバイクでありながらあらゆる路面・勾配を1台でなんでもこなせるバイクが主流になっているのです。

エアロロードバイク

(c) Canyon
最新のエアロロードバイクは、上り坂もこなす万能型に進化しつつある。

ツールに空力の考えが取り入れられたのは1970年代後半と、意外とその歴史は古いものがあります。
名伯楽シリル・ギマールは、チームの強化にあたり、自転車機材の進化もまた必要と考え、空力の専門家や研究者を招聘し、チームのスポンサーであった自転車メーカー、ジタン社との開発を進めました。

ベルナール・イノーやローラン・フィニョンといった当時のマイヨジョーヌ選手たちがそのプロトタイプを使用し、「エアロバイク」は煮詰められていきます。

その結果、誕生したジタン社の「プロフィ」というバイクは、史上初のエアロバイクでした。
涙型形状のフレームパイプ、ワイヤー内装、エアロボトル、スポーク数24本のホイール……と当時の知見と技術を詰め込んだ画期的な1台。主に個人タイムトライアルで使用されたこのバイクは、現在のエアロロードの先鞭をつけるものです。

ロードバイクの素材も進化した

1903年の勝者、ガランのバイクが約20kg。現在のツールを走るバイクはUCI(世界自転車競技連合)が定めるルールによって6.8kg以下は認可されていません。裏を返すと、それよりも軽量なロードバイクが作れる時代になっているということです。

およそ120年のうちで多くの変化がロードバイクのこの軽量化を可能にしましたが、素材の変化はその要因の大きなものと言えるでしょう。

機材にこだわったことでも知られるエディ・メルクス

機材にこだわったことでも知られるエディ・メルクスも、もちろんスチールバイクでツールを5回優勝した。(c)CorVos/cyclowired.jp

しかし、約120年にわたるツール・ド・フランスの歴史を概観すると、初代優勝者のガランのバイクの素材であった鉄は長命な素材でもありました。

最後に鉄(スチール)製のバイクがツール・ド・フランスを制したのは1995年。ミゲル・インドゥラインは5連覇の全てをスチールバイクで成し遂げました。
翌96年の勝者ビャルネ・リースはアルミニウム製のバイクで新しい時代の幕を開きます。……が、アルミバイクの時代はわずか3年、1998年のマルコ・パンターニを最後に途絶えます。

1999年、鮮烈な総合優勝を遂げたランス・アームストロングと共に登場したトレックのカーボンバイクが、その後のカーボン時代を高らかに宣言するものでした。

2020年のツール王者、タデイ・ポガチャル

2020年のツール王者、タデイ・ポガチャルももちろんカーボンバイクでその栄冠に輝いた。(c)MakotoAYANO/cyclowired.jp

カーボンはすでに1989年のグレッグ・レモンがTVT社製のバイクで栄光に輝いていましたが、アルミラグでカーボンパイプを繋いだ構造のバイクはその後主流になることはなく、今日に続くカーボンモノコックは、この1999年からの系譜上にあります。

カーボンという新素材が、ツール・ド・フランスという伝統のレースにおいて、「新世界」アメリカの選手によってもたらされたというのは、歴史の必然であった、とするのは言い過ぎでしょうか。

ウェアの進化にも注目!

バイクや機材の進化に伴って、選手の着るウェアもまた進化を続けています。
ここからは、選手が身に着けるウェアとアクセサリーに注目してみましょう。

ツール・ド・フランスといえば、やはり黄色のジャージ「マイヨ・ジョーヌ」がその栄光の証としてお馴染み。
しかしこのマイヨ・ジョーヌ、1903年の第1回大会には姿も形もありませんでした。
この頃のサイクリストの出で立ちはというと、ウール製のウェアにハンチングキャップがメイン。当時の高機能素材といえば、ウール。汗で濡れても天然の保温・透湿能力でサイクリングに限らず、広くスポーツで利用されてきた生地です。

今にすると意外に感じますが、長袖のジャージを着ている選手もたくさんいました。それは、深夜のスタートや日の暮れた夜にフィニッシュする長距離ステージが多かったから。この頃は、前述のデグランジュが出場選手に「自分の荷物は全部自分で持つこと。路上に捨てるなど言語道断」としていたため、ウェアを何着も持つことができませんでした。

デグランジュを目の敵にしていたペリシエは、このジャージ着替え不可能ルールに激昂して、1924年のツール・ド・フランスを途中棄権してしまいますが、そのエピソードは当時のツール・ド・フランスの理不尽さを伝えるものとして広く知られています。

そうそう、マイヨ・ジョーヌが初めて登場したのは、1919年のこと。昨年2019年はマイヨ・ジョーヌ100周年記念大会として、ルコックスポルティフ製の日替わりマイヨ・ジョーヌが披露されたことも記憶に新しいところ。
大会スポンサーの新聞「ロト」が黄色い紙に刷られていたことから、与えられることになった黄色いリーダージャージは、ツール・ド・フランスという大会を超えて、自転車ロードレースの象徴としても認知されています。

1990年代のツール・ド・フランス、マイヨ・ジョーヌ

1990年代のツール・ド・フランスではマイヨ・ジョーヌも、他の選手のジャージも化学繊維製だ。(c)CorVos/cyclowired.jp

バイクにおける鉄のように、ウールもまたサイクリングウェアにおいて長命な素材でした。
すでに伝説として語られる数々のチャンピオンたち、ファウスト・コッピ、ルイゾン・ボベ、エディ・メルクス、ジャック・アンクティルたちはウールのジャージに身を包み、1年中ペダルを回してきたのでした。

化学繊維が登場し始めるのは70年代の後半からで、やはり名将ギマールが指揮したルノーチームは早々に化繊のチームジャージを仕立てています。

80年代に入ると軽量・速乾、お手入れも簡単な化学繊維が広まります。プロレースのウェアという観点では、スポンサー企業にワッペンロゴを必要とするウールに比べ、プリントで事足りる化繊は何かと利便性が高かったこともあり、一気にシェアを拡大したのです。

ウェアも「エアロ」な時代

2010年代に入り、サイクリングウェアもまた1つの「機材」としてスピードを追求する方向性での進化が進みます。その際たるものは、エアロ化です。

もともとタイムトライアル用のピタッとしたタイトフィットのシルエットは、通常のロードレースでも空気抵抗の低減を目的に次第に取り入れられていきます。
袖は長く、そして隙間なくフィットする方向に進化。風にジャージがたなびくサイクリストの姿は、すでに過去のものになりつつあります。

ヘルメットの歴史

ツール・ド・フランスの100年以上の歴史をみると、ヘルメットを着用している時代はここ最近のごく短い期間であることに気づかされます。

ツール・ド・フランスに限らず、長いところロードレースにおいてヘルメットは付随的なもので、プロ選手ほど着用しない傾向がありました。プロテクションのためカスクと呼ばれる簡易ヘルメットをかぶる選手もいるにはいましたが、UCIがヘルメットの着用を義務化したのは2003年のこと。

春先に開催されるツール・ド・フランスの姉妹レース「パリ〜ニース」での落車による死亡事故を発端に、ヘルメットの義務化が進み、今日では全てのロードレースで選手たちはヘルメットを着用しています。

ヘルメットをかぶっているエディ・メルクス

1970年代、あまりに強く「人食い」の異名をとったエディ・メルクスがかぶるのはヘルメットの原型カスク。(c)CorVos/cyclowired.jp

この着用義務化により、ヘルメットの技術革新も進み、軽量で通気性も良いヘルメットが多数生み出されることになります。

また、タイムトライアル用ヘルメットの開発に合わせここでもやはりエアロ化の波が押し寄せ、今日では「エアロヘルメット」がプロトン内でも支持されています。TT用のヘルメットは細長く背中まで伸びるものが主流だった時期から、今日ではショート化が進んでいます。

サングラスはおしゃれのためだけでなく

今日のツール・ド・フランスを見れば、ほぼ100%の選手がサングラスを着用しています。時速60kmで風を受けるロードレースでは、目を守るアイウェアの重要性は非常に高いものがあります。

目を守るという意味では、初期のツール・ド・フランスを走った伝説時代の選手たちにとってもアイウェアは不可欠なものでした。ただしそれは、サングラスではなくゴーグルスタイル。
黎明期のツール・ド・フランスでは、未舗装路の占める割合も今とは比較できないほど大きく、集団で走るレースでは、自然と砂埃が巻き上がります。

主催者の車やバイクが共に走るツール・ド・フランスではその傾向はさらに顕著で、選手たちは常に砂埃にまみれての走行を強いられました。目を守る、という意味ではしっかりとゴーグルタイプのアイウェアで目を覆う必要があったのです。

1920年代のツール・ド・フランスに出場したクベール

1920年代のツール・ド・フランスに出場したクベール。アイウェアはゴーグルスタイル。(c): Bibliothèque national de France

1919年から1927年のツール・ド・フランスで活躍したフランス人選手オノレ・バルトレミは、レース中に路面のガラスが目に入り、片目を失明。義眼のサイクリストとしてその後のキャリアで活躍を続けました。
当時の路面状況を忍ばせるエピソードでもあります。

***

ここまで見てきたように、ツール・ド・フランスは自転車ロードレースの歴史の生き証人でもあります。

機材の進歩に合わせて選手や大会が進展してきたのか、あるいは選手や大会の発展が機材の進化を呼び込むのか。いずれにせよ、このレースがこれからも感情と科学とを織り交ぜた、一大叙事詩であり続けることは変わりないでしょう。

そこにこそ、私たちが毎夏熱狂する理由があるのです。

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